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スポング博士の研究所(カナダ・ハンソン島。
潮を吹くオルカ。
オルカは家族単位で行動する。
ホエールウォッチング船とオルカ。 |
オルカの声を聴いたことがあるだろうか。僕が初めてその声を聴いたのは、7年前の夏の日のことだった。 オルカの声は水中でしか聴くことができない。研究所の周りの海には広い範囲に渡り、7〜8つの水中マイクが仕掛けられている。それぞれのマイクの音は研究所にリアルタイムに中継されている。この仕組みによって、研究所の前の海峡にオルカがやってくるのを事前に察知することができ、また各マイクに届く音の「遅れ」を計算して、オルカの位置を正確に知ることもできるようになっている。博士はオルカの「声」を分析することで、その生態の研究を行っているのだ。そんなわけだから、研究所の周りにはいたるところにスピーカーが仕掛けられている。博士がどこにいても、水中のオルカの声を聞き逃さないようにするためだ。僕たちが泊まったゲストハウスにもそのスピーカーの一つが仕掛けてあった。 ハンソン島に到着した日は、オルカはついに僕たちの前に姿を現すことがなかった。ヘレナ夫人の心づくしの夕食を終えて、みな少々残念に想いながらも明日に想いを託し、すっかり日が落ちてしまったハンソン島を吹き抜ける風の音を聴きながら眠りについた。 その夜中のことである。コポコポという、水の音だけが時折聴こえていたスピーカーから、耳慣れない、高い音が響いてきた。ハッとして、僕は目を覚ました。オルカの声など聴いたことの無い僕にとって、最初はその音がいったい何の音かわからず、暗い部屋の中で半身を起こして、ただその音に聞き入っていた。美しい声だった。 しばらくすると研究室に明かりがともった。どうやら本当にオルカがやってくるらしい。僕たちは、夏とはいえ、かなり冷え込んだ夜の海岸に出てみた。夜の海を大きな月が照らし、一条の光となって見えていた。幻想的な光景だった。 その不思議な闇の中から、突然「ぶぉっ」という音が聞こえてきた。オルカが海上に出て息をする、いわゆる潮吹き(ブレス)の音だ。間違いなく、オルカは目の前の海にいるのだ。しかし、いくら闇の中を探しても、その姿を見ることはできない。時間をおいて、またブレスの音が聞こえる。ブレスの音がするたびに、近づいてくるのがわかる。僕たちはかなり興奮し始めていた。姿ではなく、音だけというのが、逆に想像力を刺激する。しかも夜。 そして、そして、そして。ついに、静かな海に標された光芒の中にに、オルカは忽然と姿を見せた。美しいシルエットだった。数頭のオルカの家族が次々と光の中に顔を出し、悠々と息を吐き出して、そしてすぐまた闇の中に消えていった。確かにオルカは今、目の前の海を通過していったのだ。なんだろう、凄く不思議な感動だった。これほどまでに、他の生命が「今そこで生きている」ことが嬉しかったことはない。 この海峡で5歳(推定)の時に捕獲された、コーキーというオルカがサンディエゴの水族館にいる。スポング博士は、今年30歳になるコーキーを、生まれ故郷の海に帰そうという活動を行っている。オルカは僕たち人間が「光」で世界を認識するのと同じように、「音」で世界を認識している。例えば、人間には聞くことのできない低周波、高周波の音を聴くことができる。また、頭頂部から出す音波は、一秒間に数百回も、その周波数を変動させることができるという。さらには、数十キロ離れた所にいるオルカと交信することができるとも言われている。ま、ともかくすごいのだ。 そんな世界に生きているオルカを生まれてすぐに捕らえて、水族館の狭いプールに閉じこめる、ってどういうことなんだろうか。自分に置き換えて考えてみると、幼稚園に入園するころに、狭い暗室に閉じこめられて、以後そこで生活させられているようなものだから、これは相当につらいはずだ。 野生のオルカは80歳まで生きた例があるほど、人間の寿命に近い。平均寿命は50歳〜60歳だそうだ。それにもかかわらず、水族館のオルカは10歳や20歳で死んでしまう。今年30歳のコーキーは、水族館の中では世界で一番長生きしているオルカなのだ。科学者としての知識と、オルカも人間と同じ尊い生命なのだという生命観。スポング博士は、既にショーにも出なくなったコーキーの命が燃え尽きる前に、あの美しい海でもう一度、家族と共に、悠々と泳がせてあげたいと思っているのだ。 水族館などで、捕獲したオルカを観察するという形は、僕はそろそろ終わってもいいのではないかと、個人的には思っている。では、僕が経験したように、人間が野生の中に出ていって、そこでオルカと出会うということはどうか。その流れで、今、世界中の海にホエール・ウォッチングの為の高速船が走っている。その業者達は、高いお金を払った乗客に、必死でオルカを見せようと、野生のオルカを追いかけ回している。オルカの群をたくさんの船が取り囲む風景を、僕も何度も見かけた。ひっきりなしにやってくる高速船のエンジン音のおかげで、ハンソン島の付近もオルカの棲みにくい海になりつつある、とスポング博士は嘆く。 確かに、野生の生命と、そしてそういう生命と共に生きているのだという実感がなくなってしまった、僕たち人間が出会う場というのは、重要だ。特に子供にとって、その経験は何ものにも代え難い、大切な経験になる可能性がある。しかし、その行為自体が、共存する相手である他の生命を傷つけてしまう。ここに悲しい矛盾がある。これを解決する方法はないものだろうか。 スポング博士は、その解決の一つの方策として、ネイチャーネットワークというプロジェクトを考えついた。野生のオルカがやって来る海にカメラを沈めて、そこから全世界にインターネットや衛星通信を使って、ライブで映像を送ろうという計画だ。今は、ビデオを沈めて、実験を行っているところだが、いつか、インターネットを通じて、僕たちは、ハンソン島の近くを泳ぐオルカたちの声や姿に出会うことができるかもしれない。そして、もっとゆっくりとしたペースで、オルカと出会っていくことができるようになるかもしれない。はたして、これが一番いい方法なのかどうか。毎年、夏になると遠い海を泳ぐオルカを想い、同じ考えの堂々巡りが僕の中に訪れる。誰か、何かいい方法があったら教えて下さい。 |
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