SENSORIUM TopHORIBA Online
写真未来通信 コソボ1999〜2000

1999年6月10日、コソボ紛争*は、NATOの空爆停止によって、一応の終結を見せた。その3ヶ月後の9月に、僕はテレビ番組の取材でコソボ自治州*を訪れた。紛争時、あれほどマスコミをにぎわせたコソボのその後を、今、知らせてくれるメディアはほとんどない。しかし、今この瞬間も、そこには人々の生活が続いている。

コソボの冬は-10度以下にまで気温が下がるほど厳しい。もちろん破壊された家で、この厳しい冬を乗り越えることはできない。そんな彼らに暖かい住居を提供しようと頑張っている日本のNGO(非政府組織)、ピースウィンズジャパン(以下PWJ)を取材することになった。彼らの協力で、短い期間だったがコソボの「今」を見ることができた。今回は、その旅の報告である。


写真
僕たちは、コソボの南隣のマケドニアの首都スコピエから、PWJの車に乗せてもらって国境を越えることになった。物資を搬入するために、長い列を作っている巨大なトラックの横をすり抜けながら、国境を越えていく。
写真の兵士の後ろに見えている建物は、コソボに入ってすぐに見えてくるセメント工場。この工場はNATOの空爆によってほぼ完全に破壊されてしまった。国境付近は、空爆の激しかった地域で、地雷や不発弾による事故が最も多かったところだ。

写真
コソボの中でも最も破壊の激しかった町が、ペチである。(アルバニア系の言葉では「ペイヤ」と呼ぶ。)70%の住居が破壊されてしまったと言われている。PWJのオフィスもこの町にある。今では、世界中から様々なNGOが集まって、復興の手助けをしている。停戦3ヶ月後の9月、我々が訪れた時には、既に町には槌音が溢れ、人々は再建に向かって元気を振り絞っていた。
写真は、セルビア軍によって完全に破壊され尽くした商店街。まるで震災直後の神戸を思い出させる光景だが、こちらは「人間」の行為の結果だ。右下の写真は、元々はセルビア系住民が経営していたレストランで、それをアルバニア系住民が破壊してしまった。ペチの町の破壊は、一見するとセルビア軍による一方的な破壊に見えるが、実は双方の民族の報復の歴史の傷跡なのである。

写真
PWJは、住居が破壊されてしまった家族に、冬の間、新しい住居を提供するという活動も行っている。
この家族は、ペチ郊外のラビアン村に住むカバシさん一家。戦争が悲惨なのは、働き盛りの男性がたくさん殺されてしまうことだ。この家族も、一家を支える父親(男の子が遺影を持っている)が殺され、さらに住居も破壊されてしまった。PWJのスタッフが「冬を越すために、ホテルの一室を用意したよ」と声をかけると、息子を失った75歳のおじいちゃんが、悲しみに暮れながら、生まれ育った家のそばを離れる無念さを語った。家族はみんな泣いていた。無邪気に見える、7歳の男の子の心にも、おそらくセルビア系住民に対する憎しみの感情が刻まれているのだろう。
写真
コソボの北、ミトロヴィツァ市に向かう途中、道路脇にマス・グレイブ(大量虐殺で死んだ人々の墓)があった。この墓の主は、アルバニア系住民の一家。18人の家族全員が殺されてしまったのだ。70歳を超えるおじいちゃん、おばあちゃんから生まれたばかりの赤ちゃんまで。道行く人が見ることができる、目立つ場所に墓が作られており、すぐ横にはKLA(コソボ解放同盟)の真っ赤な旗が立てられていた。そこに漂う空気は、悲しみと平和への祈りではなく、永遠の憎しみと闘争への誓いのようにも思えた。何故、人は殺し合えるのだろうか。

写真
コソボ内を車で走っていると、車窓の外には、ヨーロッパの古き良き田舎の風景が拡がっている。美しい山並みと田園風景だ。しかし、目を凝らして見ていくと、徐々に破壊の跡が見えてくる。
この写真は、コソボの北部に位置するチャブラ村。画面の上半分には、コソボの典型的な、のどかな風景が写っているのがわかるだろう。下半分は壊滅したチャブラ村である。この地区には72の村があるのだが、唯一このチャブラ村だけが、アルバニア系住民の住む村だった。残りの71の村は全てセルビア系である。チャブラ村がセルビア軍によって襲撃されたのは、NATOの空爆開始5日後の3月29日、朝の3時25分のことだった。

写真
セルビア軍の襲撃によって、チャブラ村にあった233戸の家は一つ残らず全て破壊され、25人の村人が殺された。一つの村が全て破壊され壊滅したというのは、他にも例を見ない。現在、この村には、世界各国からNGOが集まって、再建の手助けをしている。我々が訪れたときには、現場は既に活気に満ちていた。軍とNGOと住民が協力して、村の再建に力を尽くしていた。PWJは、神戸から300戸の仮設住宅*をコソボに運び入れ、そのうち158戸をこの村に建設することに決め、精力的にその準備を進めていた。
写真左上、右上は破壊された住居と仮住まいのテント。左下は、破壊されてしまった学校。右下は、ドイツの地雷撤去を担当するNGOが書いた「地雷撤去完了」のサイン。学校の瓦礫は、我々の取材のあと撤去され、今この場所には仮設住宅が建っている。

写真
村の全体がわかるショットを撮影しようとして、一きわ高く盛り上がる瓦礫の上に登った。撮影中、一人の男の子が近づいてきて、ニコニコしながら僕たちの様子を見ていた。その時は「カメラが珍しいのかな?」ぐらいにしか思っていなかったのだが、撮影が終わると、その子は僕たちに向かって、自分の足下の瓦礫を指さしながら"This is my house!"と言って笑った。僕の心はその時、大きな衝撃を受けた。
無垢な心を突然襲った恐怖。悲しみと憎しみ。殺し合いが終わったことの喜び。世界から助けが来てくれていることへの感謝。自分が生まれ育った故郷や家への想い。この村を覆う複雑な心の世界がこの少年の何気ない一言から、どっと押し寄せてきて胸を突いた。しかも、僕は決してその心の世界に辿り着くことはできないのだ。不思議な悲しみが僕を襲った。少年にカメラを向けると、彼は瓦礫になった自分の家の上に立ち、胸を張ってみせた。

チャブラ村では、11月6日に仮設住宅への最初の入居が始まった。12月10日現在、ほぼ全戸が完成し、あたたかな薪ストーブも全ての家に支給されたそうだ。まだまだ不十分だろうが、それでも冬を越せる希望が見えてきたところだろう。今回、僕たちを案内してくれた、PWJスタッフの長谷川さんの言葉も印象的だった。
「コソボにはまだ希望は見えない。けれども、希望の種を蒔くための地面を耕しているんだと信じてやっている。暖かい住居で冬を越して、春を迎えられれば、人々の憎しみの感情にも少し変化が出てくるかもしれない。」

70年代、月に行ったアポロの宇宙飛行士達は、「宇宙から見ると、国境なんて見えない」というメッセージを地上に送った。この素晴らしい言葉は、宇宙からのプレゼントだと僕は思う。だけど、それから30年近くを経た今、人間は、いまだに民族や宗教という枠組みにとらわれ、国境よりも深い溝を心の中に残したままだ。人間の未来は、良い方向に変わっていけるのだろうか。

今回のコソボの話は、これまでの連載の中では少し異質かもしれないけれど、敢えて書いてみたかった。
カナダの海を今もオルカが泳いでいること、自分のカラダを「今」何億という素粒子が貫いていること。それと同じように、今コソボで厳しい冬を越えようという人々が生きていること。その全てが、今という、同じ時の中に「在る」ということ。そのことに、ふと心の触手を伸ばすことが、僕はとても大事だと思っている。
そして、そんなこんなの全てを乗せて、地球はいよいよ2000年を迎えるのだ。
<写真・文 上田壮一  写真協力:戸松久夫>

*[コソボ自治州]
旧ユーゴスラビアが崩壊して、新しくなったユーゴスラビア連邦のセルビア共和国の中に設けられた自治州。新潟県とほぼ同面積。セルビア正教の聖地でもある。
周辺諸国との位置関係は、この地図を見るとわかりやすい。

*[コソボ紛争]
第二次大戦後、コソボに流入し、人口の大部分を占めるようになったアルバニア系住民が90年にコソボ共和国樹立宣言を行う。この動きを、ミロシェビッチ大統領が軍と治安部隊により制圧。以来、アルバニア系住民とセルビア系住民双方による虐殺と報復が繰り返されてきた。コソボがセルビア正教の発祥の地で、セルビア系住民にとっては宗教的、民族的「聖地」となっていることも事態の複雑化の背景にはある。
さらに、この問題にアメリカ、イギリスなどが介入し、ついに99年3月24日NATOによる空爆が開始された。6月10日に空爆は停止し、紛争は終結したが、住民の間には、深い悲しみと、さらなる憎悪が、いまだに根強く残ったままである。

*[コソボへの仮設住宅移設]
外務省が費用を負担し、兵庫県、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)、NGOの協力で、神戸にあった仮設住宅500戸をコソボに送る計画が実施された。ピースウィンズジャパンやJENといった日本のNGOが現地で建設の作業を担当した。8月に神戸港を出港し、9月に現地に到着、11月初旬に、初めての入居が可能となった。政府とNGOが連係して作業するプロジェクトは日本では前例がなく、画期的なことだった。(欧米では以前から行われている。)


参考リンク
コソボに関しては、PWJ以外にも様々な日本のNGOがコソボの支援の為に地道に活動を続けています。関心のある方は、以下のサイトを訪れてみてください。

●ピースウィンズジャパン(PWJ)
●難民を助ける会(AAR)
●日本緊急救援NGOグループ(JEN)
●アジア医師連絡協議会(AMDA)
●国境なき医師団

もどる
(c)Copyright 2003 HORIBA, Ltd. All rights reserved.