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はかりをはかる[2]
  「はかり」の日本史

前編では「はかり」の基準や決まりごとについてお話しました。正しく等しい「はかり」ではからないと、誤差が混乱を生んでしまうこともあるのです。

現在日本では、「はかり」や「はかる」ことの基準としてメートル法を取り入れていますが、もちろんこれは近代以降に取り入れたもの。今回は日本の「はかり」の歴史を遡ってみましょう。


豊臣秀吉は「天下」だけでなく、「はかり」も統一していた

メートル法の採用以前、日本にも独自に決められた「はかり」が存在しました。「はかり」を決めることは重要な国家事業。日本では701年の大宝律令で「はかり」と「単位」が定められました。しかし、実際には厳密に統一が進んでいたわけではなく、たとえば年貢を納める際に使用していた“米を「はかる」”升ひとつとっても、地方や時代によって大きさもマチマチでした。

ようやく一般に通用する升ができたのは、貨幣経済が定着した戦国時代末期のことです。豊臣秀吉で有名な“太閤検地”もちょうどこのころ。秀吉は天下統一のために、それまで基準があいまいだった、ものさしと升の基準を定めました。全国の領地を共通のはかりではかることによって、面積に応じて決められた量の年貢を納めるという仕組みが実現し、盤石な支配体制を築くことができたのです。貨幣という共通単位が一般化したからこそ、「はかり」も統一していくことができたというわけです。


現代の日本の「はかり」

戦国時代に統一されたものさしや升が広まり、日本国内でも徐々に「はかり」の基準が整備されていきました。明治時代になると、西洋化・近代化の流れから、当然のように基準はもっと厳しいものが求められるように。欧州各国の文化が平行に輸入され、日本古来の尺貫法と入り乱れることで、混乱した状態となりました。たとえば、フランスをお手本にした陸軍ではメートル法、イギリスに習った海軍ではヤード・ポンド法(※)が採用されました。兵器や機器の標準がバラバラになったままで、新しい国づくりを進めていたということになります。

日本の「はかり」の基準が正式にメートル法に統一されたのは、昭和41年(1966年)のこと。このとき尺貫法を一方的かつ全面的に禁止してしまったため、伝統的なものづくりの分野、工芸や呉服の世界での標準だった鯨尺(くじらじゃく)や曲尺(まがりじゃく)まで使えなくなるという弊害もありました。単位が変わると、消えてしまう文化もあるのです。

現在の日本では、ヤード・ポンド法はほとんど見られなくなりましたが、一部の分野において尺貫法が用いられている場合があります。お米を炊くときは「180g」よりも「1合」といわれるほうが、なんとなくしっくりきますよね。姿を消してしまった単位もある一方で、日本古来のものと新しいものをうまく組み合わせて使っていくというのは、日本人独特の「はかり」方なのかもしれません。


グローバリゼーションが進む現在、正しい「はかり」や単位の統一が合理的であることは言うまでもありません。しかし、公的にはメートル法への移行を認めているものの、アメリカとイギリスでは現在もヤード・ポンド法が採用されています。1999年、アメリカ航空宇宙局(NASA)が、調査衛星を火星軌道にのせる際、メートルとヤードの換算ミスで火星探査プロジェクトとともに1億6,000万ドル以上の予算が一瞬にして消えてしまうなんてことも、ありましたね。

「はかり」は正しいことに意味があります。その正しさを信頼し、活用することができるからこそ、わたしたちは混乱することなく、日々暮らしていけるといってもいいでしょう。「はかる場」では、身の回りのさまざまな「はかる」を紹介していきます。そこには「はかり」の存在が欠かせません。ぜひ、いろんな「はかり」に注目してみてください。

※ヤード・ポンド法とは、アメリカ合衆国を中心に英語圏で使われている、長さをヤード、質量をポンドとした単位系

 

>>前編はコチラ

 

Photo by Thinkstock/Getty Images


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